梅村さえこ(日本共産党前衆議院議員)-北関東ブロック(埼玉・栃木・群馬・茨城)比例代表選出

プロフィール

現在

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  • 日本共産党 党中央委員、子どもの権利委員会 責任者
  • 前衆議院議員

略歴

  • 1964年6月28日 愛知県名古屋市で生まれ豊田市で育つ
  • 愛知県立豊田西高校卒 立命館大学Ⅰ部文学部卒
  • 日本民主青年同盟 立命館大学Ⅰ部地区委員長
  • 日本民主青年同盟 中央副委員長
  • 消費税をなくす全国の会の結成(1990年6月)に参加し、常任世話人を経て、2007年より3年間、事務局長を務める。事務局長をおりた後も、常任世話人として活動を続ける。
  • 2010年1月 党准中央委員
  • 衆議院議員(比例・北関東ブロック選出 2014年12月初当選~2017年9月まで)
  • 国会では、総務委員会・消費者問題に関する特別委員会を担当していました。
  • 2017年10月総選挙で比例・北関東ブロックと埼玉15区(さいたま市南区、桜区、戸田市、蕨市、川口市一部)から立候補、議席に届かず。
  • 2019年7月参院選挙に比例代表で立候補、議席に届かず。
  • 2019年9月、次期衆院選・比例代表北関東ブロックの予定候補として発表。
  • 2020年1月 党中央委員、子どもの権利委員会 責任者
  • 居住地の埼玉県蕨市では、「蕨駅にエレベーター設置を求める市民の会」会長をつとめ、保育園の拡充を求める「ママ・パパネットワーク」の運動に参加。保育園の保護者会役員、小学校PTA役員なども。
  • 家族は、夫と中学・高校に通う男児2人。

 

私と日本共産党

【戦争がなければ】

pro_04 私の母方の祖父は戦前、愛知時計につとめ、名古屋の大空襲で亡くなり、母は祖母の女手一つで5人きょうだいとともに育てられました。

  中学を卒業して働きに出た母は、「戦争さえなければ、おじいちゃんも亡くならなかったし、上の学校にだって行けた」と小さい頃よく話していました。

 私はこの話を聞いて、戦争だけはダメだ、女だからと差別されるのはおかしいという思いを強く持って育ちました。

【教師の夢を社会をかえる仕事に】

pro_01 大学に入学し、学費値上げ反対や教育環境充実に、学び行動する学生自治会の先輩たちと出会いました。

 高校時代に管理教育に疑問をもってしていた私にとって、おかしいと、ただ悶々と思うだけでなく、行動する先輩は輝いて見えました。

 そして、その時、日本共産党と出会い、命がけで侵略戦争に反対した党であることを知り、「この党はどんなことがあっても国民のために体をはって働く党だ」と入党しました。

 大学卒業の時、民主青年同盟の専従にとの要請を受けました。「アカにだけはなるな」と言っていた母の顔を思いうかべると、母の期待通りに教師になるべきかと悩みました。

 しかし、中退や不登校など学校について悩む子どもたちの姿を間近に見て、社会そのものを変えなければ、子どもたちの苦しみはなくならないと思い、教師への夢から、社会を変える仕事を職業に選びました。

【平等で自由な社会への願いがこめられた党名】

 「人間による人間の搾取もなく、抑圧も戦争もない、真に平等で自由な人間関係からなる共同社会をめざす」。
(日本共産党の綱領と規約より)

 平等で自由な社会(コミュニティ)---日本共産党の名前の由来はここにあります。

 私は、この党名を誇りに思います。命がけで侵略戦争に反対した、作家・小林多喜二をはじめ、戦前から今日まで平和やくらしを守ろうという先輩方の思いと、未来社会への思いがこめられた党名です。

 どうぞ、日本共産党へ、あたたかいご支援をよろしくお願いします。

© 2015 - 2020 梅村さえこ(日本共産党前衆議院議員)